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性表現規制派に対して、「表現の規制反対派」が答えるべきと思われること

僕の立場は、「性表現の規制は絶対に反対だが、表現自由戦士は頭が悪すぎるし、表現の自由を守るという目的の現実の戦略性においても害悪」というもの。表現自由戦士とは、性表現規制派と喧嘩してる人達(≠議論してる人たち)への蔑称として使っている。

おそらく性表現規制派の主張の中心にあるのは次と思われる

「性的なイラストや作品等の拡散は人権侵害、差別にあたる」

ただし、存在そのものが許せないか、拡散しないかぎり(ゾーニングされる限り)には許せると考えるかは立場によって違いがあるだろうから、自分には不明だし代弁することは出来ない

差別に当たると(彼ら彼女らが)考えているであろう理由は、次を満たすからと考えられる

「現実に差別が存在し、存在してきた歴史がある場合、弱者への差別を『肯定的に享楽的に』描くものは、たとえフィクションであってもそれ自体が差別行為にあたる」

たとえば「ナチスドイツの蛮行を伝えるために、虐げられるユダヤ人を描くこと」は、享楽的肯定的な描出ではないために差別ではないが、「現代ドイツ人がユダヤ人を殴ることをおもしろがってそれだけ描く」場合、差別問題になる可能性は高いと思われる。
なのでこの理由そのものは、少なくとも性に関する問題以外なら成り立つ可能性が極めて高い。

表現自由戦士が応答すべきは二つの立場がありうると思われる

1.何の場合であろうが、そもそもフィクションである限り差別は成立しない。暴力を肯定する表現だろうが性であろうが関係ない。

2.暴力は差別に該当する可能性があるかもしれないが、性については該当しない

僕は1は厳しいと思うが、絶対にありえないとはいえない。
2が一般に規制派への反論として中心になると思うが、表現自由戦士は全くこれについて考えていない

ゆえに、これについてどう思うかを答えるべきだというのが俺の考え

5 thoughts on “性表現規制派に対して、「表現の規制反対派」が答えるべきと思われること

  1. 自由でいいけど、節度は守ってね…ということで。

  2. ナチスドイツは現実に行われた「戦争犯罪」であり
    例えるなら、まだ戦国時代のような「過去の歴史」の域に達していない「事件」であるから
    この例えを性表現規制の例に使うのは、あまり適切とは言えませんね

    という訳で1です
    まあ表現の自由戦士も中にはヘイトなスピーチの規制も
    反対の対象に入れている人も何人かは居るとは思いますが
    この文脈で言うなら表現の自由戦士が守っているのは表現は表現でも「フィクションの表現」ですよね
    そうなると現実の人物や民族、国家などが関わる余地は無いと思いますが

    結局はオタク的なもの=宮崎勉という図式を捨てられない人間の「職業差別」としか結論の出しようが無いと思いますよ
    サザエさんやドラえもんみたいな漫画やアニメは「社会的に認められているからいい」んだそうです

    1. その反論が成り立つには女性に対する差別行為が現実には存在していない、という前提が必要になると思うので、僕は反論としては弱いと思いますね。

      中盤や後半はよくわからないです。フィクションの表現がなぜ、現実の人物や民族、国家と関わる余地がないのでしょうか。
      差別というものが特定個人ではなく属性を指し示す以上は、現実とかかわりがないというのは無理があろうかと思うし、これは別にフィクションを否定的ではなく
      肯定的に捉える場合でさえそうだと思います。
      でなければ、フィクションというものは世の中に対して「ホラ話」以上の意味がないものになってしまいますが、大抵の作り手は「ホラ話」以上のことを意図しているでしょう。
      何か別のことを仰りたいのだとは思いますが、いまいちそれが見えてこないのでよくわかりません。

      サザエさんやドラえもんは「社会的に認められているからいい」っていうのは、ワカメちゃんのパンツとかしずかちゃんのお風呂シーンのことすかね?
      個別の境界については、重ねて僕はコメントする立場にないですが(そもそも僕はエロ漫画かいてるんで、エロ自体を規制するのは反対の立場です)
      いいかどうかはわかりませんが、状況によってはワカメのスカートのデザインが変わったり、しずかちゃんのシャワーシーンは常に磨りガラスごしのシルエットになる
      ってことはありうるかもしれません。
      なので僕はそのコメントは、単純に規制派があまり多くを敵にまわしたくないからという戦略的な理由で、そこを争点にしたがってないんじゃないかと思います。
      表現戦士側は逆に、それで民意を手にしたいから戦略的にその例を出してるんだろうと。

      それは一貫していないからおかしいとおっしゃるかもしれませんが、別にそんなことはないと思います。
      なぜなら表現戦士側は真逆に、地上波のゴールデンタイムに幼女のレイプを描いた番組を流すべきだとは誰も思わないだろうからです。
      極論ではあるけど(そもそもわいせつ頒布等罪にひっかかるので)結局どこが境界なのかは絶対に価値観によって揺れるので
      「一貫しているか」は重要とは思わないです。

      もちろん、表現戦士側は「程度問題ではなく、差別として糾弾するのならそれは別のレベルだから一貫性が必要になるのでは」って考え方をするかもしれません。
      それはけっこー考える余地があるのかもしれないとは思います。

  3. >差別というものが特定個人ではなく属性を指し示す以上は、現実とかかわりがないというのは無理があろうかと思うし(中略)でなければ、フィクションというものは世の中に対して「ホラ話」以上の意味がないものになってしまいます(以下略)
    んー、まずここら辺から認識が大分食い違っている感がありますね
    自分はフィクションは本質的に「ホラ話」だと思っているですよ
    ドラマとかでよく「このドラマはフィクションであり実在の人物とは云々」ってあるじゃないですか
    つまり、現実に無関係な無駄話だからこそ内容に責任が発生せず自由に内容を作れる
    これがたとえば「報道」とかだったらまた話は変わってきます。そこはわかりますよね?
    もちろん、フィクションに単なるホラ話以上の何かを盛り込んでいる作家や作品はいるでしょう
    でもそれはそういう「演出」や「味付け」に過ぎないと思うのです
    世の中で本当に伝えたい事や主張したい事があるならブログを書くなり論文を書くなり、それこそ報道すればいいのです

    こういう話をすると「でもフィクションから「影響」を受ける可能性が」という意見が出ます
    ですが、そういう「影響」を裏付ける客観的統計的データが出た事は今まで一度もないのですよね
    加害者個人の「自供」か、あるいは推進派の「そうかもしれない」か、そのどちらかしかない
    よって「影響を根拠とした規制へのアプローチ」はもう途絶えています
    ここら辺の話はもういい加減出尽くされている上今回の論点とは微妙に違いますが、念のため

    先のナチ云々の話をしましょう
    たとえばプレイヤーがナチスの武装親衛隊となってユダヤ人を”享楽的に”殺害するゲームを作ったりしたら
    そりゃ世界中から非難殺到でしょう
    なぜならナチスのホロコーストは実在する事件であり、ユダヤ人は実在する被害者です、ホラ話とは言えません
    事件を美化したり被害を萎縮化する恐れがあるため、例えゲームでもその表現には責任が伴います
    しかし、性表現を伴うフィクションに関しては
    例えレイプでも実在しない事件であり、被害者も実在しないものであり、全くのホラ話です
    実在しない事件を美化したり、実在しない被害を萎縮化することは出来ません
    「女」は実在するものだという意見はあるかもしれませんが
    やはり事件そのもの、内容そのものは実在しません
    影響論は先も言ったとおりなので、結局フィクションと女性差別を関連付けるのは無理筋のような気がしますね

    順番が入れ替わりますが
    >その反論が成り立つには女性に対する差別行為が現実には存在していない、という前提が必要になると思うので、僕は反論としては弱い
    との事ですが
    現実に起った事件や実在の被害者(例:ナチスのホロコーストやユダヤ人)を扱っている場合は兎も角として
    架空の人物と架空の事件を扱ったものはフィクションであり、前述の通りホラ話過ぎない
    「影響」を理由とするには客観的根拠が不足している
    こんな所でしょうか

    余談ですが自分は規制推進派を黙らせる具体的な手法論に関しましては、
    やはり表現側も(マス)メディアを上手く使って民意を味方にするのが一番だと思ってます
    何故なら先も言いましたが表現規制系のアプローチを用いた対策は、大して効果が無いか、失敗するであろうことが議論で出尽くされているからです
    故に今、表現規制を押し進めているのは、そうした「社会のためによかれと思って」「真剣に」規制を進めている人間ではなくて
    「後の結果なんてどうでもいい」「自分たちの溜飲が下がればそれでいい」という人達だけです
    そういう人たちをどう納得させるには「権威」と「報道」が一番いいのですよ

    またまたこれも余談ですが現実の女性への差別を無くすには
    やはり現実に起った性犯罪やハラスメントをきっちりと罰するのが一番だと思います
    差別的感情でオタクや創作表現を敵と認定する方が現実の問題を曇らせる事になりかねないと思います

    ところで
    >表現自由戦士は頭が悪すぎるし
    これでは単なる人格批判では?
    このブログの記事は、何かしら具体的な問題提起をするなら、正直主語が足りないと思います
    >表現の自由を守るという目的の現実の戦略性においても害悪
    というなら何をどう具体的に害悪なのか、全然説明されてないし
    (まあ説明されたとしても、そいつら個人を例に挙げて反表現規制全体を批判しないで欲しいとは思いますが)
    「性的なイラストや作品等の拡散は人権侵害、差別にあたる」
    具体的に「誰の」人権侵害と差別にあたるのかよくわからないし
    推進派の意見を代弁している、とするなら、正直内容が足りない気がします
    ただ、チロリアンさんみたいに、推進派の意見をアグレッサーのようにシミュレートしてくれるのは助かります
    彼らの意見や思想、目的は見通しが悪い事が多いので……

    1. まず幾つか細かい点について

      ■実際に悪影響を与えうるか

      この点については、僕はどちらにも証明は不可能だろうと思っています。アメリカでは89年にポルノ雑誌(ハードコア含む)が普及した地域の方が性犯罪率が有意に高く、しかも収入格差によるものではないという統計があります。
      https://www.ncjrs.gov/App/Publications/abstract.aspx?ID=138509
      そして今すぐ逆の統計を持ってきてなくて申し訳ないですが、普通に考えて逆の統計もあるでしょうから、僕はこの統計をもってポルノが悪影響とは考えませんし、議論に持っていくのも難しいと思います。(僕個人の信条だけでいえば、小学生が児童ポルノみたって極端な影響はないとさえ思ってますが、極論すぎるので省きます。そして、僕個人としては、たとえ仮に悪影響があったとしても、酒などのようにちゃんとした扱いがある前提なら許されるべきと思ってます)規制派の人がこの点をどの程度重要な点と考えているかはわかりませんが、おそらくどちらの立場からしても「こうだ」と証明できる状況が出来るとは思いがたいので、ここでは触れる必要性はないと考えています。もし悪影響の存在をとくに根拠なく主張している規制派の人がいるとしたら、僕はそれについては明確に反対します。

      ■表現自由戦士は頭が悪いという文言は人格批判ではないか

      そのとおりです。僕としては必要なのはまともな議論であって、表現自由戦士は議論が粗雑であり乱暴であり、それは規制派の人達が相手を見下す態度とほとんど鏡あわせだと思っています。当然ですが「反規制派全員おかしい」とはかいていません。しかし喧嘩をしている人たちは乱暴な言いがかりが多く、侮蔑されて当然だと思っています。この記事そのものも、規制派が言ってもいないことを言ったかのようにいってる「表現自由戦士」がいて、彼の言動に対するアンチとしてかいています。

      ■規制派は社会のためによかれと思ってやってるわけではない、個人感情

      誤解されるかもしれませんが、僕は「社会のため」「公正のため」じゃなくてもいいと思います。もちろん、規制やルールがとりこまれるべきかを決める為政者は、正義や公正、社会のために決断すべきと思います。ただ、個人が反対運動をするときには「自分がいやな思いをしているから」でやってもいいと思います。これは性規制反対側も当然そうで、「レイプされる少女のエロ漫画が見たいから」という理由で規制反対したっていいわけです。ただ、当然そのための理屈は必要とは思いますから(この場合でいえば表現の自由が必要だからとか)正義の議論自体は必要と思っています。

      ■現実的手法は民意を味方にすること

      そうだと思います。ただ、僕が記事本文で「規制反対側からしても悪影響である」と断じたのは、彼らが乱暴な態度で反対論者を晒し上げて口汚く罵っていることで、規制反対派の僕からしてもうんざりさせられるからです。僕はオタクですし、エロ漫画をかいているので当然オタク側の人間だから何をみたところで規制反対なわけですが、普通の人がそういう態度をみたときに『オタク』とされる人達に良い印象をもつんでしょうか。
      もちろん規制側の一方的な活動や言動への十分なカウンターは手段として必要で、言われるがままであればいいとは思っていません。反論自体を悪いとは思っていません。しかし本当に必要なのは、オタクとされる文化を多くの人々が尊敬することだと思っています。なんで漫画やアニメに対してある程度は考えてくれてるかといったら、多くの人達が大きい文化であることを認めてくれたからで、手塚や永井豪がエロ表現を肯定的にかいてきてくれたり、ちばてつやら大御所の人達がエログロも含めて漫画文化だからと声をあげてくれてるからだと思っています。オタクはその巨大な庇護にありながら、やってることは違う価値観の人間への暴言や見下した態度だとしたら、それは果たして本当に意味のあることか僕は疑問に思っています。
      本当のことをいってしまうと、オタクが守られてる最大の理由は経済圏がそこそこあり、海外のファンもいることがあるんでしょう。ただ、それが永遠に続くわけじゃないです。ならば、オタクという文化は先人達が作ったもののように尊敬されるものであるべきです。今の表現自由戦士に対する僕の憤りは、そういった視点がないことです。

      本筋に戻りますが、ユダヤ人の場合は現実の事件だが、レイプの場合は実在しない事件であるというのはいまいちよくわかりません。レイプはおそらく、ホロコースト以上にわりと現代に至るまでどこの国でも存在しているかと思います。違いがあるとしたら、ある一時代の巨大な悲劇として歴史に記されているか、刑事事件程度として町の治安の一項目かという点かとは思います。その「事件の巨大さ」を持って差別の軽重を決めるのは良い議論とは言いがたいかと思います。たとえば知的障害者を大量殺人した人がいましたが、彼の殺した人数が26人程度だから、この件で障害者をネタにしたゲームをだしてもいいと判断したら、やはり同様の非難が集まるでしょう。個別の事件の不特定性が重要だとしたら、黒人と白人の場合はどうでしょうか。白人が黒人を一方的に殴ってストレス解消ゲームがでたら、やはり同様の非難が集まるはずです。
      何か別のことをおっしゃりたいのかと思いますが、やはりいまいちそれが見えてこないです。というか「レイプの被害者は実在しない」というのはけっこー危険な文言ですので、女性が見掛ける場では自粛されたほうがよい気がします。

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