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サグメの能力の解釈から二次創作を考えて見たい

※サグメの能力の解説を目的にした記事ではありません。一応解説も含みますが、それを知りたいだけなら他の方の記事が良いと思います

サグメの「口に出すと事態を逆転させる程度の能力」の解釈は東方界隈ではそこそこ話題になる。二次創作でよく使われやすい「サグメネタ」の多くは、やや理解が違っているということが言われやすいからだ。

能力の解説

サグメの能力は紺珠伝のomake.txtでも触れられている。引用してみよう

無口な性格だが、その理由は能力にある。
何らかの事象に対して(特に関係すると思われる人物に向かって)口にすると、その事象は逆に進み始めるのだ。
(略)天邪鬼は自分が反対の事を言うだけに対し、彼女は言った事で世界を反対に動かす。
何かを成そうとしているのなら、それは尽く失敗するし、
悪い事が起きているのなら、何らかの打破が見られる能力である。
必ずしも自分に対して好転するわけでは無い。
まさに、口は禍の元、となる神霊だ。

二次創作で多い解釈は「言ったことと逆になる」というものだろう。サグメが「明日は雨になる」といえば晴れになり、「明日は晴れになる」といえば雨になるというタイプの解釈だ。

もちろんこれは基本的には違う。あくまで「起こるはずの事象が逆になる」ことが言われているのであって、「言った内容と逆の事が起こる」わけではない。

さてそうなると一番問題なのは「起こるはずの事象とはなんぞや?」であり、ここが人によって解釈が分かれるところになると思う。

たとえば2016年のアメリカ大統領選、かなり多くの人がヒラリーが勝つと思っていたが、現実にはトランプが勝利した。もしサグメがこういうことに介入して能力を発動した場合、運命はトランプが勝つはずだったのにヒラリーが勝っていたことになったのだろうか?しかし多くの人はヒラリーが勝つだろうと思っていたはずでもあるので、その当時に居れば「サグメの能力のせいでトランプが勝つ運命になってしまった」と思ってしまうだろう。人々の予想と運命は関係ないのだろうか?

はてさて、そういう人々の予想とは全く関係の無い「世界の運命」と、人々が考える「予想の運命」どっちに関わるのだろうか。都市伝説の発現能力など考えると人々が「ありえない」と思うことが具現化する内容を含んでいるようでもある。そう考えると、進行中の物事に対する人々の予測も関係してるように感ぜられる。

一体運命とはなんぞや?

しかしそういった解釈って意味があるのか?

僕としては身も蓋もないが、「ZUNはそもそもそんなことは考えていない」と思う。身も蓋もなさすぎるし、二次創作って作者の考えてないことも含めてやるもんだろうという意見もあるだろうが、僕の言いたい事はちょっとちがう。「キャラクターの能力を文字面で解釈することには意味がない」と思うということだ。

サグメの存在は紺珠伝という作品を抜きに語ることは出来ないし、あの状況を抜きに考えることは出来ないんじゃないだろうか。

紺珠伝という作品はメタ的に、ストーリー的に二つの運命がコンセプトとして存在していると思う。ストーリー的には「純狐らによって月の都は蹂躙される」であり、メタ的にはミスなしのクリアをしないと純狐によって抹殺されることが予想されるため「事実上、クリアがほぼほぼ不可能である」ということだ。サグメの存在とは、この二つの運命を逆転させるために存在している。

もともと、稀神サグメというキャラクターの元ネタは明らかに古事記の天探女(アメノサグメ)の神話からきている。

葦原の中つ国(今の日本の土地の神話での呼称)を平定するため、高天原から何人か神が派遣されることになった。アメノホヒノカミは中つ国にすみついてしまって役目を果たさない。なのでアメノワカヒコを派遣したがこれも帰ってこない。高天原に構えるオモイカネは鳴女という雉を送ることを提案、アメノワカヒコに真意を問いただすように求めた。ところがアマノワカヒコに仕えていた天探女はこれを「この鳥の鳴き声は不吉だ」と伝え、アメノワカヒコは鳴女を矢で射殺してしまう。この矢はタカミムスビの元までとんでいき、タカミムスビは「もし悪い心を持っているならばこの矢はアメノワカヒコを貫くだろう」と言い矢を投げ返す。すると矢は、アメノワカヒコを討ってしまった。

詳しい人なら知っての通り、オモイカネとは東方においては永琳のことであり、紺珠伝で主人公機たちを月に派遣した張本人である。つまり主人公たちは鳴女の立場にあり、天探女たる稀神サグメは神話であれば主人公たちを殺してしまう立場にある。だがサグメは主人公らを月を救うために通すことを選んだ。この時点で、神話から予想されるべき事態は逆転しているのだ。

つまり事象の逆転とは、本来叶えられるべき神話のことを指していた。

早苗の紺珠伝EDにおいて、神奈子は早苗の活躍を「天孫降臨を阻止したこの子は、何か持っている」と呟くシーンがある。前述の天探女の神話がまさに天孫降臨に関わる話なのと同様に、紺珠伝は天孫降臨の話を逆転した構造になっている。ZUNがこのことを意図しているのは明らかだと思う。

そしてそれはゲームとしても意味があり、サグメはクリア不可能というコンセプトをクリアさせるための意味をもつ存在だと思う。ZUNがomakeで述べているように紺珠伝はアイワナを意識したいわゆる「死にゲー」でありながら、純狐の能力によって「一度もミスしてはいけない」という矛盾があるゲームであり、それを成り立たせるために紺珠の薬と、サグメという存在があるのだと思われる。

サグメというキャラクターは、この状況を生み出すために創られた。いうなれば、この状況が無ければキャラクターとしてのサグメに意味はないのではないかと思う。

能力だけを語る意味ってあるのだろうか

東方の二次創作の世界は広く、言ってしまえば初音ミクや結月ゆかりらと同じで「ある種の属性がついただけのフリーテンプレート」として使われてるところはあるし、それを全否定することもいまやできない。博麗霊夢は貧乏症と天才気質な巫女であり、魔理沙は盗み癖があるジゴロな努力家な魔法少女という属性があるだけ。それ以外は変態キャラにしようが理不尽な逆ギレキャラにしようがメンヘラにしようが自由に扱ってよくて、初音ミクらなどの性格が作者によって全く違うのと同じように扱われることがある。

繰り返すが、そういう二次創作を僕は否定しない。言ってしまえば東方がそれだけ多くの場所でインフラになったということでもあるし、そういう間口から気に入って入ってくる人だって居る分けで、何か玄人気質な東方好きが見下すような対象にすべきではない。

でも一方で、キャラクターを大事にする二次創作を考えるのであれば、能力だけを独立に考えて、キャラクターの意味を喪失させたら結局は同様に属性でしかないのではないかと思うのもあるのだ。幽々子は人をいたずらに死なせたりしないし、輝夜は単に咲夜の上位互換な能力者というわけではない。幽々子の能力は西行妖のことを抜きに語っても意味がないし、輝夜の能力は蓬萊の薬やフェムトファイバーなどの月の技術とは切っても切り離せないし、文字面だけ解釈して最強キャラクター決定戦みたいなことをしてもほとんど意味はないのではないかと思う(そういう趣味を否定もしてないですよ、念のため)。

ZUNは別に最強キャラ決定戦のことを考えてはいないであろうというのと同じ意味で、サグメの能力が日常でどう扱われるかもさほど考えていないだろうと思う。僕がいう、「作者はそんなこと考えていない」というのはそういうことだ。

なのでサグメの能力は曖昧だし、よくわからないし、正直原作のレベルでみても若干便利に使われすぎな嫌いもあって混乱がないとは思わないが、根本にあるのは「天探女の神話」と「紺珠伝」というゲームのコンセプトだと思う。もし二次創作でサグメの能力を考えるのであれば、そこから考えるべきじゃないかなぁと思うのだ。

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