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けものフレンズを見て思ったこと(否定的感想を含む

否定的感想含むので、ファンは怒らないでね。タイトルに入れてるんだし、それを読んで怒るとしたらそれはお互い様じゃないすか。別に駄作とかそういうことを思ってるわけではないので、お互い意見の自由を尊重しようぜ?といっても、これで話題稼ごうとしてるように見えたらクソ野郎に見えるだろうけれど、そういうつもりはないただの雑記なので。

それはともかく、思ったことだ。

個人的評価からいうなら「もし一切、何の周囲の声をなく見ていたら『よくできてるんじゃん、もっと話題になってもよさそう』くらいには思うかも」くらい。話題になったから見てるわけで、そんな前提は無意味なんだけれど。要するに佳作という感じであり、それを大きく越えた熱狂には引いてるというのが本音だ。ただ、周囲の熱狂がなければそもそも感想を描くほど考えることもなかっただろうし、そういう意味では僕の感想も枯れ木の賑わいのようなもの。ストーリー面とキャラクター面の二つの思ったことを、ダラダラ描こうと思う。

ストーリーについて

このお話は前提として、ミスリードによって成り立っているように感じた。

7話の図書館まで、カバンとサーバルの目的は「カバンは何という種類の生き物か」ということを探すことが目的になっている。しかしこのお話を見ている側からしてみれば、カバンが人間であるのは明らかだ。だから、カバンが何の動物かということは当然ながらお話のモチベーションではなくて、別のモチベーションがあると思う。

それは「カバンが人間だと判明したら、この平和な関係は崩壊するのではないか」ということだ。これは4話のツチノコが「まだ絶滅していなかったのか」と嬉しそうに答えることで、案外大丈夫なのかもと思うわけだけど、ツチノコなるキャラがあまりにも例外的すぎて、どこに常識的なラインがあるのかわからない。この件が解決するのは、7話のハシビロコウの台詞と、図書館でのワシミミズクたちの話によってなわけだが、この解決が「想像以上にあっさり」すぎて拍子抜けするというのがある。しかし考えて見れば、別にヒトだから怨まれてるかもしれないなんてのはこちらの勝手な穿ちすぎでしかないので、当然と言えば当然なので流れてしまう。

この図書館の話をもってお話の目的は別の方向に向かう。それは「ヒトが居なくなってしまったのは何故なのか、このジャパリパークには昔何があったのか」ということなわけだが、それは見てる側の目的であって、物語内のカバン・サーバル組には別の目的がある。図書館以降のカバンたち自身の目的は「ヒトがいる場所を探す」ということなのだけど…これがいまいち腑におちない。なぜカバンたちはヒトを探してるのだろう?

ハカセたちが言うには、フレンズが住みやすい地方に住まないと長生きできないからという。でもこれもいまいち納得できない。現実の人間は暑い地方だろうが寒い地方だろうが相応の環境をつくって生きてる人はたくさんいる。長生きできないとはどういう意味なのだろう?さらにいえばフレンズたちは同種の生き物で群れてる様子もない。じゃあ、なぜカバンだけ仲間を探す必要があるのか?仲間を探しているのか?住みやすい適した環境を探しているのか?

お話としても、カバンという個人がヒトを探さなきゃというモチベーションがわかるエピソードがまるでないから、目的が曖昧に感じる。カバンは切実に、仲間と会いたいと思っているんだろうか。死にたくないという感情からなんだろうか。何が目的なのかいまいちよくわからない。

本当の目的は、「サーバルとカバンが一緒に旅をできればそれでいい」ということだ。

だからこのストーリーははっきり言って、お話としてみたら無茶苦茶である。とくに最終話のひどさは尋常なレベルではない。11話の木登りでみせつけた「最終話付近で1話に訓練した技を繰り出す」というここ一番の王道伏線を発揮しておきながら、大して戦略上重要とも思えない場面で、火をつけた紙飛行機(一体サーバルはどの時点で火を克服したのか謎1)謎、とかいってるけどたぶん実際はセルリアンに食べられると人間化が強まるとかそういうのがあるんだろうな)を飛ばすというゴリ押しぶりにはびっくりしてしまった。急に都合良くラッキービーストから通信はいって、今までの登場キャラ全員集まってきて攻撃手段まで準備してるのも「王道だから」で流されてる。

なによりカバン関係の「都合のよさ」は、佳作という評価すら揺らがせかねないほど酷い。もちろんカバンはセルリアンにとりこまれて本当に何の後遺症もないのかはわからない。何故か意味深に手足が黒くなっていたりするし(あれは服が再生しているだけだという意見があるが、だとしたらなぜ手袋とタイツだけ消えたのかということ自体意味がわからないので、実際は何かあるんだろう)、何らかの代償があるのかもしれない。でも、すくなくともこのお話はこの件で一旦は決着がついてる前提でかいてるわけだ。その上で後付けの理屈で人間に戻れました、記憶も問題ありません、だって。何のタメに命がけで戦ったのか全く意味がわからない。要するにカバンは残機無限の無敵ってことでしょう?ひどいちゃぶ台返しじゃないのそれ。あげく、おそらくミスリードというのはわかるけども「体毛からフレンズ化したパターン」なるお茶を濁したような話が急にわいてでる。

そもそも「セルリアンに食べられたらどうなるのか」を延々濁して恐怖をかきたてておいて、最終話になって急に「もとの動物に戻る」って、それはカバンだけじゃなく結構ひどい設定では?サーバルを見る限り再びフレンズになれる可能性も高いわけで、じゃあセルリアンに食べられることの実害は「記憶をなくす」だけという話になりかねない。そら記憶がなくなってもいいとは言わない。でも命がけで戦った意味があるのか、だいぶん苦しくなってくる。

一回目はそれほど気にならなかった。リアルタイムに熱狂の中にいると、円満解決しただけで何か尊いことのように思えるのはわかる。でもこの前のニコ生での再放送をみるかぎり、やはりこの一連の後付けご都合のオンパレードは冷静にかんがえて、ちょっと酷すぎるんじゃないだろうか。

キャラクターについて

もちろんハイライトはいってないのは絶滅してたりしかかってるキャラで~だとか、建物つくったり料理つくったりが人間の歴史をなぞってるだのも、カバが言ってた「あなた走れないの、泳げないの」みたいなのを「サーバルちゃんを助けるために全てこなした」なるものも、『よく考えてる』なる言い分もわからんではないけど、正直そういうのを伏線とか考察要素とか言われると僕はそこまで腑に落ちない。なぜかといえば、それはお話にも、キャラクターに対しても、何も奉仕しないからだ。

ここからタダの持論。

キャラクターというのは行動やリアクションの単位だと思う。ある環境におかれたとき、キャラクターによってどういう行動をとるか、なんと考えるか答えるかは、変わってくる。その違いを「キャラクター性」と呼ぶ。そのキャラクター性を支える強力な要素の一つが「属性」とされるものだ。

たとえばクーデレキャラとか、たとえばツンデレキャラとか、明るいキャラ、おひとよしキャラ、変態キャラ、レズキャラ、生真面目キャラ、天然キャラ…等々。こういったものは属性という風に呼ばれる。

「属性」は無限ではない。多くの場合有限であり、とくに「ウケのいい属性」には限りが有る。図々しく自己主張してくるキャラは嫌われるが、お人好しやクール系のキャラは好まれる。100人近くキャラがいるのが当然になってきた最近では、それぞれのコンテンツごとに必ず似たような性格のキャラがいる(デザイン的にも)。そうしてくると一見して属性やデザインが全自動にキャラクターを強く支えうるかはかなり厳しく思われるのだが、一方で属性だけでも構わないという風な流れがもきている。

属性だけでも構わないという流れが強くなったのは、二次創作やSNSの普及のせいもあると思う。毎シーズン違うアニメが流行るという状況だと、キャラクターの属性だけで差別化するのは難しい。だが東方や艦これやデレマス、ラブライブやグラブルやFGOなどの流行で、個人がキャラクターコンテンツに滞在する時間が長期化してきていると思うし、けものフレンズも一般的な深夜アニメの流行というよりは、こちら側の「キャラクターコンテンツ」に近い受け入れ方をされてると思う。

しかし、やはりどちらにせよ属性でキャラクターが差別化するのはぼくはジリ貧だし、そんなに面白くなく感じる。

明るいキャラや変態キャラがそれぞれの作品(あるいは二次創作)に必ずいて、必ず同じようなネタをやっている。舞台や格好は違うかもしれないけど、やってることは同じことじゃないかという気がしてくる。紅魔館が爆発しようが鎮守府が爆発しようが同じだし、大井がレズに走ろうがフェネックがレズに走ろうが、やってることは同じだ。そういう需要は絶対にあるんだけれど、僕はそれをキャラクターの重要な部分とは思わないのだ。

キャラクターが属性以上の存在になるのは、そのキャラクターたちが生まれた目的や、行動目的が世界観や作品展開、歴史と相互に関係を持ってるときだと思う。

こういう例えでよく使うのがキャプテン・アメリカというキャラクター。

キャプテンアメリカは、アメリカを象徴するヒーローとして生まれた。しかし「アメリカを象徴する」というのは、どうしても政治性を帯びざるえない。キャプテンアメリカはドイツ軍や日本軍と戦ったし、赤狩りを行うこともあった。そしてその行動の正当性は、後代になれば裁きをうけることになる。とくに赤狩りに走ったキャプテンアメリカは負の歴史とされることになり、『本物のキャプテンアメリカではない、偽物だったのだ』という歴史にされてしまう。一方で、こんな「あれはなかったことに」という設定自体が、キャプテンアメリカというキャラクターの実直性に反する。後にキャプテンアメリカはその偽物のキャップと対立し戦い、その上で彼を認め、同じキャプテンアメリカとして彼の罪を受け入れるという決意をする。

キャラクターに生まれた目的ややるべき目的があると、そのキャラクターは時代や製作者の意向で変化し、過ちを犯すこともある。だからこそキャラクターはその乖離や、目的の再修正によって自分を乗り越えていく存在になりうる。

けものフレンズの、少なくともアニメ版にはそれはない。あるのは属性だけに感じる。

たしかにかわいいんだろうし、多少は動物っぽさがあるんだろう。だがフレンズたちは人間とほとんど出来ることはかわらない。火を怖がるなどの設定も、いざとなれば乗り越え可能。文字も、フクロウなら賢いから読めるし料理も食べられる。異種間でも言語で交信し、互いを認め合える。

なぜなら人間とほとんど変わらないから。彼女たちがこの世界で存在するルールや、目的、過ちはない。

けもフレのよさに、政治性の排除があるのはわかる。別に、けものたちは自分たちを虐げているヒトを憎むべきだとか、このジャパリパークという世界を疑うべきだとかそういうことは思わない。でもあまりにも動物性を殺しすぎた結果として、彼女たちには何の目的もない、ただそこにいてはしゃいでるだけの存在になっている。

トキは仲間をさがしたいという動物性からくる目的があったし、あれは深掘りすれば面白い話をかけそうにみえる。だがアルパカがお客さんを呼びたいとか、ペンギンがアイドルになりたいとかはよくある属性にすぎない。彼女たちの生まれと何一つ関係なくて(そら深読みしていけば迂遠な理屈では関係あるのだとか言えるかもしれないが)、単にそういう役回りを割り当てられただけだ。その限りのエピソードでしかないので、同じように処理されるトキのエピソード自体もどこまで彼女の本気のエピソードかはよくわからない。

ただ、一方でそういうのってやっぱり需要あるんだろうなぁってのも思うわけだ。

けもフレの評価

けもフレが受けたこと自体は、ラノベの男ウケ狙いの深夜アニメキャラ全盛の時代に、サーバルのニチアサっぽいノリの明るいキャラがツボだったからとかなんだとは思う。

でも評価されてる理由はおそらく「政治性を一切排除してる」からじゃないか。

動物というテーマはわりと政治性を帯びやすい。動物と人間の関係を人間が描くのはは、どうしたって対等にはなりえない。たとえばズートピアは人間を一切出さないが、差別問題を描く高度に政治的な作品だった。ましてや人間と動物が出てくるアニメなら、普通のコンセプトならば政治的なテーマにならざるえない。

だが、もうそれは「かったるい」のだ。見たいのはそういうことじゃなくて、サーバルがすごーいといって、ハシビロコウがすごい目力でじーっと見てくるとか、そういう内容だ。キャラはそれ以上の自己主張は求められていない。

別にそういうのが人間に都合がいいだけの世界とかそういう批判はしないんだけど、一方でやっぱりただの属性の集まりにしか僕には見えない。二次創作しても、他のジャンルを越えた何かはやりようがないと、僕には感じてしまう。もちろん、今後もっと変わった展開によって大きく変貌して面白くなる可能性はあるけれど、今のところは僕はそう思う。

でも「シンゴジラ」でも、既存のゴジラとちがい、ゴジラによって被害を受ける市井の人々の生活ドラマを意図的に排除するなど「かったるい要素」をなくし、ゴジラと対立する具体的なやりとりに人間描写を集中させた。僕はそれは大正解だと思ってるのでシンゴジラ自体は大好きなんだけど、「かったる要素はなくして、アイドルだけに集中する」という意味では実は同じ流れにあるのかなぁとも思った。

なんだかんだ、属性は誰にでも同じように感じられるウケる要素なんだし。そう考えると、いろいろと落ち込んでくるところもちょっとある。

References   [ + ]

1. 謎、とかいってるけどたぶん実際はセルリアンに食べられると人間化が強まるとかそういうのがあるんだろうな

けものフレンズを見て思ったこと(否定的感想を含む」への19件のフィードバック

  1. 感想面白かった。僕は最終回みんなが集まるところ泣いてしまった。けものフレンズ好き。でもたしかに言われてみればサーバルいつ火を使えるようになったんだろうね。

    あと都合が良すぎると思ったのは雪山地方のソリはたまたま桶とスキー板があって、何故桶とスキー板が?そして、それを合体させるの時間かかりそう。接合させるのが難しいのでは?作ってる間にセルリアン来て死にそう。さすがに、かばんさんでもあの状況は無理だったのでは。

    1. サーバルが火使えるようになった理由は多分二期で説明されるんじゃないすかねー。半端にセルリアンにとりこまれると人間化がつよまるのかもしれません。なんか目が光ってたので「特別な状態」みたいになってたし。それ考えても、僕は演出として紙飛行機はゴリ押ししすぎだとは思いますけども。

      雪山のあれは俺も笑いました。まぁ低予算12話アニメの個々のエピソードの出来不出来はいっても仕方無いので、あれはそういうものくらいとは思います。

      1. おー!返信ありがとうございます。最終回、サーバルの目が光ってるのは野生解放ならぬ知性解放ではないか、という意見があったなと思い出して追記しようかなと思ったら返信きてた。どうもありがとうございます。

        うん。桶とソリはしょうがないのかもしれない。

        あと正直PPPライブも昨今のアイドルアニメに比べると見劣りするかも。アイドルアニメと比べるのがどうかしてるかもですけど。

  2.  『けもフレ』には「政治性がない」っておっしゃいますけど、動物も人間も「わーいたのしー」ってやる作風が「多様性を許容する物語だ」と受け止める意見も合ったりしますし、政治性はいくらでも後付けできるもんだと思います。もっとも、その割にファンは縁もゆかりもないオルフェンズ叩きの山車に使ったり余所のアニメに随分攻撃的な気がしますが。

     一つ思うのは深夜アニメ=大人向け=難解な作品じゃ無いとダメという固定観念が制作者に有ると思うのですが、もはや随分前から視聴者は難解な作品に飽きて胃もたれしてるんじゃないかと思うことです。

     例えば「悪の化身に支配された世界を救う」みたいな『魔神英雄伝ワタル』のような勧善懲悪のシンプルな話を実は視聴者は求めてるんじゃないかと思います。『ラブライブ!』や『ガールズ&パンツァー』もスポ根と例えられたりしてますしね。

    1. コメントありがとうございます。
      多様性については「そもそも全員ただの人間じゃん」の時点で、別にそこに主眼があるとは感じません。コスプレして、動物属性のふるまいをしていることが多様性というのは、もちろん人によって受け取り方が違うのは理解してはいますが、少なくとも自分にとっては微妙です。無条件に相手を肯定するというのは日常アニメならよくある話なので、それをいちいち「多様性の肯定」って言うのか?という疑問があります。

      (製作者というのが僕のことをいってるのかなと思って一応こたえますが)別に自分は難解な作品にすべきとなどとは言ってないですよ。何かシリアスな作品にすべきとも思ってないです。あの範囲のゆるさでも、全然可能な範囲での自分の希望を描いてるつもりであって、それこそズートピアのような明確な政治性を前面に打ち出せといってる話でもないです。あまりにも漂白しきった結果、ここまでやるとただの日常アニメでしかないのでは?と思っただけです。

      で、それでもいいじゃんとおっしゃるのはそれはそれでわかりますし、特に否定もしないですよ。個人の好みの話ではありますし。

      1. レスポンスありがとうございます。って管理人さんって何かしらの製作者だったんですか?知らずにコメントしまいましてもうしわけありませんでした。

        1. いや、固定観念があるみたいな話でしたので、話の流れでぼくのこと言ってるのかなと思って。そうじゃなく製作者って、ものづくりしてる人一般みたいなことすかねー、そんな固定観念ありますかねぇ…よくわからないです。って感じですね。どうもでした。

  3. こういうまともな意見を堂々と述べる人がいるだけでも嬉しいです。…流行りてのはある意味インフルエンザと同じですね。

    1. まぁ流行り物の中ではいい方(何をもっていいとするかは人それぞれですけど!)ではあるんだろうし、そこをもってどうこう言うつもりはないです!僕の受け方もダイブ偏ってるとは思うので。ただ、やっぱ熱狂があまりに過剰に見えてしまうのは俺もありますねぇ。

  4. サーバルは野生開放だか知性解放だかによって、かばんを助ける為に苦手だった火を克服したみたいな感じじゃないですかね。

    1. 目が光っていたので、何らかの理由があるのだとは思います。僕はサーバルが一旦とりこまれたことが原因な気がします(解放しただけでできるのであれば、ノーリスクで常時発動可能ということになるので、だったら最初からみんな火をもって最後のセルリアンの誘導もできたはずなんで、あまりいい理由とは思えないです。まぁテンションが高くないとだめとかあるのかもしれないですが)
      ただ「1話の何気ないやりとりが最後の切り札になる」という演出は木登りですでにやってるので、被せすぎていてあまり上手い演出には見えないということと、どういったことであれ終盤にあまりに都合の良い後付けの設定変化が起こりすぎているので(かばんは人間にもどるだけ、野生解放とかしたら強化される、全員通信はいれば都合良く道具抱えて集合する等)自然に納得できるようには感じないというだけですね

      1. 12.1話でフレンズがサンドスターを消費しながら生活している描写が描かれていました。
        ヒグマが言った「出し惜しむな」は、命を削る行為だからこそのあの強い口調だったんだと思います。よって常時解放は非常に危険な行為なのかと考えます。
        その他にも博士たちから「人の特性を取り込んだのがフレンズ」という発言も気になりました。
        なら何故引っかき傷だらけの透明な箱に入ってるパンフレットを取り出せなかったのでしょうか。
        それは経験が無いからではと考えます。
        一方サーバルは人のフレンズであるカバンと旅を重ね経験を積み様々体験を共有しています。それが最終話の行動ではないかと考えます。
        あの開放状態は諸説ありますが、個人的には特殊野生解放を経験を積み重ねた人として使ったのではないかとおもわれます。)投擲能力は人の特徴ですので。

        政治色というか大人の事情ははアニメ版に全面に出していますよ。ジャパリパークが廃墟かつ人が存在していない山が半分吹き飛んでいる、多数の航空攻撃を行ったであろう痕跡とその残骸ことです。壮絶なバックストーリーがあったのは間違いありません。
        たつき監督曰く「アプリ版終了時の虚無感を書きたかった、でもそんなことはフレンズには関係ないよね」だそうです。

        これからも熱狂から一歩下がった視点からの感想応援してます。

  5. ひとつだけ許せないのはかばんちゃんをカタカナ表記してることです

    1. すまんね!

  6. ぼかぁそこまで細かくアニメを考察して見ないので、このブログ書いている人は凄いなあと思いました。
    そんな私のけもフレの感想は、最後のフレンズ集合ですら少ないよねって感じ。
    結局野生云々言っても、フレンズたちは動物園の囲いの中と言うか。
    なんでサーバルもその他フレンズも動物としての習性に従った行動はしても、野生動物たり得ない。
    かばんにしてもそうで、人間と理解しても人間っぽいだけで実際あんな人間はいない。
    なので私はけもフレに出てくるかばんを含めたキャラは、確立されていないアイデンティティを無意識に求めているんじゃないかなと。
    その観点から見ると色々な違和感も粗方納得出来るんですよね。
    主体が無いからああなるって。
    囲いの中の作られた生態系へのシニカルな解釈と言うか。
    ただ私はこの作品を円盤で繰り返し見るかな。
    考察が必要なアニメは見たく無いので。
    エヴァみたいな。意味深さも度が過ぎれば視聴者に丸投げの手抜きに思えますから。

    1. 「アイデンティティを求めてる」ってのはちょっとどうなんすかねぇ、逆に人間的な行動をとろうとしているので、求めているとしてもそれは動物ではなく人間なんですよね。アイドルになろうとしたり、知識つけようとしたり、歌うまくなろうとしたり、喫茶店経営しようとしたり。それをアイデンティティって言えばそうかとは思うんですが、もとの動物である意味がほぼないので、それだと何でもいいのでは?って印象が個人的にはつよいです。ただ「アイデンティティをつけようとしてる」ってのはそれ自体はそうだと思います。

  7. 記事ない言うと関係ないコメントで申し訳ないんですが、なんかとんでもない騒動起きてますね、この作品。

    1. たつき監督降板の件ですか?いうてもう収まってるようにみえますけどどーなんでしょうね(別件だったら把握してないので申し訳ない

  8. 降板の件であってます。そうですよね収まってますよね・・・。・・・ここで言うことじゃないですけど冷静になるって難しいんでしょうかね。

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